サロメの唇解散のご報告


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サロメの唇 解散のご報告
Salome no Kuchibiru announcement of disband


サロメの唇は、現在制作中のアルバムを最後の作品とし、2020年内に解散する事といたしました。
2003年の結成以来、応援いただき、活動をご支援くださいました皆様に心よりお礼を申し上げます。
以下、メンバーである橘京子、水のさとしから皆様へのご報告となります。
Salome no Kuchibiru will disband within 2020, with the album currently being produced as our last work. We sincerely thank all those who have supported our activities since our formation in 2003.
The following is a report to everyone from members Kyoko Tachibana and Satoshi Mizuno.

【橘京子から皆様へ】

これまでサロメの唇を支えてくれたみなさんへ

サロメの唇の解散を発表するにあたって、私の思いをここにお伝えします。

きっかけは私です。
昨年の夏、私はチーフに「サロメを辞めようと思う」と伝えました。

結成17年のサロメの唇の歌い手として、私はその2年目から16年間歌い続けてきました。
その中で、メンバーチェンジがあったり、音楽性が少しずつ変化したりして、サロメの唇にできる ことは増え、私自身もチャレンジする機会を多くいただきました。
私は、必死でバンドを動かしてゆくリーダーであるチーフについていく形で、多少は衝突すること もありながら、素敵なサロメの唇を表現するために、そして自分自身ここで少しでも納得のいく歌 を歌えるようにと、進んできました。

サロメの唇でチーフがやりたいことや表現したいことは、チーフ自身我慢せずにやらなければ ならないし、それが大切だし正しい。
けれどそれによって、私がやりたくないことをやることになってはいけない。私は自分にできること をしよう。
こんな思いで歌い続けてきたけれど、ここ2〜3年なのかもう少し前からなのかははっきりとわかり ません。
私の中でだんだんと、サロメの唇を自分事として感じにくい部分が増えてきました。
チーフのやりたいことと私にできること、そしてサロメの唇のペースと私のペースに、乖離が出て きたのだと思います。

元々、ひと一倍ゆっくりとマイペースな性分の私ではあるけれど、サロメの唇の歌い手である以上 そうは言っていられない。
自分たちが作ってきたサロメの唇の歩み方というものがあります。
勢いを保ちつつ歩んでゆくそのペースを乱すことのないよう、私の中ではいつでも軸をサロメの唇に 置く必要があって、プライベートの時間を過ごしている時も、心が支配されている部分がありました。
そうあるべきだという私自身の考えの元にです。

ただその間、当然ながら年齢も重ねました。

17年の歳月をかけながらサロメの唇が活動歴を重ね、自分自身が年齢を重ねるうち、次第に 私の中で、これからの自分の人生の時間について考えることが以前よりも増えました。
私は、ここからの人生はより自分主体の物事に時間を費やしたいと思うようになりました。

サロメの唇の歌い手は自分事でなくして務められるものではなく、この先の私の歌手人生の 中心をサロメの唇に置き続けることも難しいと考えて、辞めるという選択に至りました。


チーフに伝えたら、どんな反応をされるかわからなかった。
言うまでもなく、相当な情熱でサロメの唇を引っ張ってきたリーダーです。
怒るのか、泣くのか、無言で帰るのか。
わからないけれど伝えないわけにはいかないし、思い切って伝えました。
意外にも話は早く、「わかった、解散しよう」と少し緊張しながらチーフは言った。
もちろんそのひと言だけというわけではなかったけれど、チーフは理解してくれました。

そして、その時いただいていた企画の話やライブのお誘い、レコーディング中のアルバム制作 のことも話して、今いただいているお話や制作予定のものはちゃんとやっていこう。
残せるものはきちんと残して、きちんと締め括ろう。そのための準備もしよう。
という話もできました。

ありがとう、と思いました。


感謝すべき人はたくさんいて、まずはメンバーです。
現サポートメンバーのヒラッキー、ハヤシさん、かずみんはもちろん、 ここしばらくは機会がないけれど気付けば長い期間サポートしてくれた エミーリーちゃん、ユーワンさん、ベニーさん、カナコちゃん、 レコーディングのみだったり短い期間でもサポートしてくれたメンバーでは ゲルさん、チエミちゃん、ナナちゃん、ヨシノスイセイさん、高橋誠さん、 コーラスで入ってくれた怜奈ちゃん、かずみさん、 ゴーゴーダンスのイヴちゃん、ホッペちゃん、チムニーちゃん、 そして、過去正式メンバーとして共にサロメの唇を作ったトヨ、愛子さん、ペラ、ペリ、ソノ子ちゃん、 初代正式メンバーのひょうくんには後にサポートメンバーとしても入ってもらって、1〜2度だけご一緒した ユミさんがいて、同じく初代メンバーで私はご一緒できなかったユキエさんとゆきさんもいました。
音やステージを作ったこの方たちがいてくれたことで 今のサロメの唇があります。

そしてライブや企画のお誘いをしてくれる周りのアーティストやイベンターの方たち。
刺激をし合ったり、気にかけて声をかけてくれたり、おかげでサロメの唇は活動の幅を広げることができました。
ライブの場を提供してくれたライブハウスやお店もたくさんあって、サロメの唇の生のステージを多くのスタッフ の方たちがいつも温かくサポートしてくださいました。
レーベルでは主にカマチさん、サミーさんにお世話になって、たくさんのCDやレコードを出すことができました。
だからこれからもサロメの唇の音は残り続けます。
ライブでしばしばスタッフとしてお手伝いしてくれたお友達もいます。
私やチーフの手が回らないところを裏方としてたくさん助けてくれました。

それから、お客さん。
ライブをしても足を運んでくれる人がいなければ、CDやレコードを出しても聴いてくれる人がいなければ、 さすがに17年も続けて来られなかったと思います。
人気バンド…というわけにはいかなかったけれど、いつも温かく応援してくださるファンの方がいてくれると 心強いし、こんなサロメの唇のステージや音源を楽しんでくれているのを感じられた時は、やっぱりとても嬉 しい。

直接的にお世話になった方、間接的に支えてくださった方、サロメの唇を続けさせてくれたすべての方たちに、 感謝いたします。


解散後、私自身に具体的な予定はないけれど、まず当面はソロで歌っていくことになるかと思います。
どんな道になるかはわからないけれど、サロメの唇で得たものを胸に歌っていきたいと思っています。


私の歌手人生のうち16年間もの期間を共にしたサロメの唇です。
どこに辿り着くまで、とか、何歳まで、とか、そんなことは考えずにやってきた。
だから、悩みながらもできるところまではやってきたと思います。
サロメの唇の音楽は格好良い。
サロメの唇の楽曲を歌うことが私は楽しいです。
時にとんでもない難易度の曲があって、絶対に私には歌いこなせないと青ざめてしまったこともあって、最初 から私にぴったりだと感じる曲やデモを聞いた途端に涙がこぼれそうなほど感動した曲もあったりで、これまで に歌ってきた何十曲ものチーフが作った楽曲を通して、また一緒に演奏をしてくれたメンバーを通して、私は 歌い手としてずいぶん成長させてもらえたと思っています。


今は、今年の夏にはサロメの唇の最後のアルバムを発売できるよう準備を進めています。
そしてその後、ラストツアーをしたいねと、チーフと話しています。
サロメの唇を歌う最後の日まで、これまでずっとやってきたように心を込めて歌います。
残り限られた期間となってしまうけれど、サロメの唇を支えてくれた人たちには引き続き温かく見守っていた だければ有り難いです。


2020年3月15日
サロメの唇
ボーカル
橘京子

【水のさとしから皆様へ】

突然のお報せになってしまいすみません。

まずは解散に至った経緯からお話します。

昨年、7月の終わりごろに京子さんから、今後のサロメの事について話をしたいという連絡があり、その数日後に 京子さんに話を聞きに行きました。

言葉を詰まらせながらも、彼女から今後の自身の人生の事も考えた結果、サロメの唇を脱退したいという旨の話が ありました。

今後のサロメについての話をしたいと聞いてから、数日経っていたので、僕の中でもこのような話になるという事 は想像していました。
サロメを辞めたい理由が何かの病気や彼女の家族に関する事ではなく、自身の今後の人生を考えてという事に 少しホッとしました。

京子さんは涙ながらに話してくれましたが、僕の中でもその数日の間にある程度気持ちの整理もできており、彼女 の申し出をその場で受け入れました。

ただ、サロメの唇から橘京子が脱退するという事ではなく、サロメの唇は解散しようという話をしました。

僕の中でサロメの唇は橘京子と水のさとしの二人がいないと成立しないグループと考えていて、きっとそれはサロ メの唇を知ってくださってる皆さんも同じ考えではないかと思います。


ここからは、僕がサロメの唇を解散しようという考えに至った理由についてお話します。

サロメの唇が活動してきた約17年の間で、僕自身も解散したい、もう辞めたい考えていた時期がありました。

サロメの唇は、結成当初、昭和40年代の歌謡曲をバンドスタイルで、カバーではなくオリジナル楽曲で演奏する バンドとして活動を始めました。

当初は、ひたすら当時の作曲家や編曲家のCDやレコードを買いあさって、そのクセのようなものを楽曲に取り入れ て、当時そのものと思われるような楽曲を作りたい、観たり聴いたりする人に昭和40年代にタイムトリップするような感覚を味 わわせたいという、どちらかというと"創作"より"再現"に近い事を僕自身の目標としていました。

しかし、セカンドアルバム「恋と愛と恋愛について」をリリースした後、それまで目標としていた事を自分の中 ではですが、達成したように思え、目標を見失ってしまい、その後しばらくやりがいを感じられなくなっていま した。

そんな中でもその時その時の自分と向きあい、しだいに目標は"サロメの唇にしかできない音楽を作る"という事 に変わっていきました。

「へぱらぺら節」を制作した頃からモチベーションが再びグンと上がって、たぶんわかりやすかったでしょうが、 歌謡曲に多い、恋愛をテーマとした楽曲よりも、人の生死感や信仰、社会への風刺をいれたような楽曲を制作する ようになり、それらの楽曲は、自分の中では"サロメの唇にしかできない音楽"になったと思っています。

実際のところ、今も楽曲制作へのモチベーションは高く、もしサロメの唇を解散せずに続ければ、もっともっと 面白い楽曲を生み出していけるとも思っています。

でもそれは、あくまで"サロメの唇"という枠の中での事なのです。

17年の活動の中でその枠の幅を広げ、形を変えるという事はやってきましたが、やはりどうしても"サロメの唇" という枠はあるのです。

今思うと、僕が作ったサロメの唇というバンドは、徐々に僕の中から抜け出て、別の得体のしれない何かの存在 になり、僕はその存在に脳も体も支配され動かされ続けているようでした。

ここ数年、僕は強い風のようなものに押されているような感覚があり、押されるがままに身を任せてサロメの唇 がぐんぐん進んでいるように感じていたのですが、それは違っていて、僕自身がサロメの唇に押されていたのかも しれません。

サロメの唇は、事務所やマネージャーがついているわけでもないので、楽曲制作はもちろんですが、諸々のやり取 りや告知、広告関連もバンマスである自分が行う事も多く、またアートワークに関しても予算が限られている事や、 できるだけイメージに近いものを作りたいという事もあり、ほとんどを自分でやってきました。

人によっては、自分のバンドのアートワークも含めすべて行う事に楽しさしか感じない人もいるでしょうが、 ここ数年はリリースの数も多く、常に締め切りに追われながら楽曲を作り、まわりへの連絡や調整、手続きも行い、 アートワークも行うというのは自分にとっては肉体的にも精神的にも負荷が大きく正直、「しんどい!しんどい!」 と叫びたくなる日々を過ごしてきました。

しんどい事もたくさん伴いますが、サロメの唇を続ける事での人生の広がりや深みはきっとあると思います。

しかし、僕自身も自分の残りの人生の時間を考えると、音楽でもそうですが、音楽以外の表現にしてもまだまだ やってみたい事もありますし、時間をかけて体験し学び知り考えたい事もあります。

この17年間、ほとんどサロメの唇の事ばかり考えて生きてきた自分が、サロメの唇を解散する事でどうなってしま うのか、不安な気持ちもあります。

しかし、サロメの唇をやっていない自分が何を思い考え、どういう行動をし、何を表現するのかという事への興味 と楽しみな気持ちも大きいです。


サロメの唇が活動できる時間は限られました。でも作品は残ります。

解散を決めた日から、残りの時間でできるだけ作品を作って皆さんに届けたいと、サポートメンバーにも助けて もらいながら作品を作っています。

現在、制作中のアルバムはサロメの唇最後の作品となりますが、このアルバムの中には、僕がずっと書きたかった テーマの曲も収録する事ができました。

最後のアルバムについてはまたリリースの時にいろいろお話したいと思います。


長くなってしまいましたが、サロメの唇を好きになってくれて応援してくれた皆さん、サロメの唇の音楽を聴いて くれた皆さん、活動に協力してくれた皆さん、皆さんがいて関わってくださったおかげで何度も心が満たされ、 嬉しい気持ちにしていただきました。

生きている実感を与えてもらいました。

解散は決まりましたが、サロメの唇最後の日まで、京子さんやサポートメンバーのみんなと全力で楽しみながら 残りの制作とライブをやっていこうと思います。

リリースやツアーのスケジュールは決まり次第、またお知らせしていきますが、できるだけたくさんの方にサロメ の生の歌と演奏を聴いていただけたら嬉しいです。


2020年3月15日
サロメの唇
ベース、楽曲制作、チーフ
水のさとし

サロメの唇は、今年2020年に最後の国内ツアーを行う予定です。リリースおよび、ツアーの日程等決まり次第、 追ってお知らせいたします。
最後までサロメの唇を応援宜しくお願いいたします。

【From Kyoko Tachibana to everyone】

To all of Salome no Kuchibiru fans.
I am writing about the disband of Salome no Kuchibiru.
I am the reason for the disband of Salome no Kuchibiru.
Last summer,I told Satoshi that I was thinking about quitting Salome no Kuchibiru.
I continued singing as Salome no Kuchibiru' vocalist.
I had a many precious experiences with Salome no Kuchibiru, such as singing various original songs and playing live in various places.
I continued this band,and I strove to sing in the style created by Satoshi, the band leader, and to use my own understanding of the songs and for expressing the wonderful Salome no Kuchibiru.
Satoshi must express what he wants through Salome no Kuchibiru.
However, I also can not do what I do not want to do.However, I also must do what I want to do.
I have to do what I can for myself and Salome.
With this in mind, I continued singing but the feeling that Salome no Kuchibiru was not a part of me gradually grew inside me.
What Satoshi wants to do and what I can do, and Salome no Kuchibiru's pace and my pace, became increasingly different.
Also, in my time with Salome no Kuchibiru, of course, I got older.
I think more about my time and life than ever before, and I want to spend time doing my own thing, so I decided to quit.
Satoshi understood this kind of my life choice.
We could talked about working hard during Salome no Kuchibiru' remaining time and finishing the band's final work.
I thanked Satoshi.
I enjoy singing Salome no Kuchibiru's music.
Through singing dozens of songs composed by Satoshi and performing with our support musicians, I grew as a singer.
After this disband, I don't have any specific plans, but I think I'm going to sing solo for a while.
I don't know what my path will be, but I want to sing with everything I learned from Salome no Kuchibiru in my heart.
We are now preparing to release Salome no Kuchibiru's final album this summer.
And we want to do our final tour in Japan after that.
Until my last day of singing with Salome no Kuchibiru, I will sing with all my heart as I've always done.
Thanks to our fans and everyone who supported us.

Kyoko Tachibana

【From Satoshi Mizuno to everyone】

Sorry for the sudden announcement.
Towards the end of July last year, I heard from Kyoko that she wanted to leave Salome no Kuchibiru as a result of thinking about her own life.
I accepted her resignation immediately.
However, rather than Kyoko quitting Salome no Kuchibiru, I decided that Salome no Kuchibiru would disband.
I think Salome no Kuchibiru is a group that can only exist with Kyoko and me. Perhaps everyone who knows Salome no Kuchibiru would agree.
Next, I will tell you why I decided to break up Salome no Kuchibiru.
I am still highly motivated to make music, and I think that if I continued Salome no Kuchibiru I could make more interesting music.
But that would only be within the framework of "Salome no Kuchibiru."
I think that there would surely be breadth and depth in my life by continuing Salome no Kuchibiru.
However, when I consider the rest of my life, there are times when I want to express myself both musically and non-musically, and sometimes I want to spend some time experiencing, learning, and thinking.
For the past 17 years, I have been focused on Salome no Kuchibiru, and I am worried about what will happen for myself when I dissolve Salome no Kuchibiru.
However, I am interested in what I will think, how I will do, and what I will express without Salome no Kuchibiru.
The active time of Salome no Kuchibiru is limited. But our work will remain.
Thanks to our fans and everyone who supported Salome no Kuchibiru, my heart was often fulfilled and I was happy.
Because of you, I felt alive.
The disband has been decided, but until the last day of Salome no Kuchibiru, I'm going to enjoy rest of our Gigs and the final album's production with Kyoko and all our supporting members.

Satoshi Mizuno



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